片桐光男の密かな楽しみ
すっかり暑くなり、後は夏本番を待つばかりとなったある日の夕方、私は何の前触れもなく有栖川さんを訪ねた。
「大阪に用事があったものですから、どうしてるかなと思いまして。原稿のほうどうですか」
もちろんそれはタテマエである。本当は、火村さんが学会で東京に行っているのを知って、何か楽しいことになるかなと思い、訪ねてきたのだ。
「まぁまぁです。どうぞ、散らかってますけど」
そうは言ったが、いつもながら男の一人暮しとは思えないほどキレイに片付いている。
「びっくりしましたよ、突然来るから」
そう言いながらテレビの上の写真立てを伏せるのを目撃してしまった。おそらく火村さんとの写真だろうが、後で確かめよう。
勘違いをしてほしくないので、一応言っておくが、私は別に有栖川さんと火村さんの仲を裂こうと思っているわけではない。ただ、慌ててる有栖川さんを可愛いと思って以来、何とかしてその顔を見ようと行動しているだけなのだ。
「今日はどっか泊まるとこ決めてるんですか?もし決めてないんやったら、ウチ泊まったらどうです?」
多少は予想していたお誘いに、当然甘えさせてもらう。
「何か飲みます?ビールやったらメチャクチャあるねんけど」
「何でそんなにあるんですか」
冷蔵庫を覗き込むと、中は冷えたビールに占領されていた。
「火村が、お中元でもらったとか言うて持ってきたんです」
ちょうどそのとき、リビングで電話が鳴った。何となく火村さんからかなと思う。
有栖川さんが受話器を取ると、思ったとおり火村さんからだったようだった。
「あ、火村。うん、別に何も」
話しながら、子機を持って隣の部屋へ歩いていく。ドアが閉まると、そっとドアの前まで歩いていき、聞き耳を立てる。
『うん、今?一人で飲んでたとこ、火村は?』
どうも有栖川さんは私の存在を火村さんに隠しているようだ。ちょっと意地悪してみたくなる。ハックション、とものすごく大きなクシャミをしてみた。そしてまた聞き耳。
『あ、あんな…、実は片…。あ、火村。ちょ…』
火村先生は怒って電話を切った様子。でもまあ、あの二人の事だから直ぐに仲直りするだろう。すぐさまソファに戻り、何も知らない人を装う。
「有栖川さんは飲まないんですか?」
母親に叱られるのを恐れている子供のように、おどおどした動作の有栖川さんを可愛く思いながら尋ねてみる。
頭の中は、火村先生の事でいっぱいなのだろう、答えはNOだった。
「仕事進めた方がええと思うから、片桐さん勝手にやっといてください」
そう言って部屋に戻って行ってしまった。
火村先生の怒りは相当のもののようだ。もしかすると、今回ばかりは「破局」なんてことになってしまうかも…。
そうなると、当然有栖川さんの仕事のほうにも影響が出てくる。
火村先生が学会でイギリスに行ったとき、一週間仕事が進まなかったという事実もある。私のクシャミの所為で、二人が別れる事にでもなったら…。
………二度と有栖川さんの小説を読む事は無くなるだろうな。
一晩中罪悪感にさいなまれ、溜息が絶える事は無かった。
「〆切は来週ですから、お願いしますね」
無理して笑顔を作ろうとする有栖川さんを見るのに耐えられず、朝一番にそそくさと家を発った。
東京に戻ってからも、有栖川さんたちの事が気に懸かり、仕事もろくに手に付かなかった。
そんな日が一週間ほど続いたある日、〆切日であるため恐る恐る有栖川さんに電話をしてみた。
「あ、片桐さん。ちゃんと原稿出来上がりましたよ。送りましたから、あとお願いしますね」
予想に反して非常に明るい声だった。火村先生と仲直り出来たのだろうか。
まさか本人に聞くわけにもいかず――そんな事をしたら盗み聞きがばれてしまう――とりあえず電話を切った。
取り越し苦労だったわけか。でもこれで有栖川さんの仕事の心配をしなくて済む。
当然、私の楽しみのほうも…。
こうして、破局の危機を乗り越えた(?)アリスと火村だったが、片桐の迷惑な楽しみの為にこの先幾度かの危機を味わう事となる。
しかしそれは、また別のお話…。
END…?
あとがき
初めに言っときますが、瑞樹は片桐さんが嫌いなわけではありません(笑)。
それにしては片桐さんがひどくアブナイ人になってますね(苦笑)。
実は、何がキッカケでコレを書いたのかがどうしても思い出せないんです。
もしかすると瑞樹の願望…いや、そんなことはないと…。あるかもしれない…。
ほら、皆さんの周りにもいません?ついつい苛めたくなるタイプ。
片桐さん(実際は瑞樹)にとってのアリスがソレにあたる、と考えてください。ね、わかるでしょう!
片桐さん(瑞樹)の気持ちが分かった方も、分からなかった方も、片桐さんの次なる活躍をお楽しみ下さい(汗)