Single Bed
人を殺したいと思ったことがあるから
臨床犯罪学者――これは私の造語だが――である彼は、そう言った。そして、その日以来この言葉が私の心を占拠している。
* * * * * *
その日の昼頃、火村から電話があった。何でも『所用で大阪に来ている、久しぶりだから顔でも拝みに行く』ということだった。〆切前で相手はできないが来るなら来いと言っておいた。十中八九彼は来るだろう。火村との電話の後、簡単な昼食を済ませ、仕事を再開した。めずらしく原稿に没頭でき、8時ごろにチャイムが来客を知らせるまでに、予定枚数を上回る仕事ができた。ドアを開けると思ったとおり、火村だった。
「〆切前に悪いな、アリス」
彼はそう言って――おそらく本気で悪いとは思ってないだろうが――手土産の寿司折を私に渡した。
「多分晩メシ食ってねぇだろうと思ってな」
「当たりや。原稿書いてたら夕飯のことなんか、すっかり忘れてたわ。サンキューな、火村」
「どういたしまして。しかし、ほっておいたら餓死してミイラになるんじゃねぇか?有栖川先生」
火村は、そんな軽口をたたきながら、キャメルを取り出してくわえた。私は、反論しようとしていい文句が浮かばなかったので、無言で棚の隅に置いてある――ほとんど火村専用となっている――灰皿を火村の前に置いた。
「大阪に用事って何やったんや?」
寿司を食べながら私は聞いた。火村は、私がどうしても気になってつけてしまった阪神×巨人の試合をつまらなさそうに眺めながら――彼はプロ野球に興味がないのだ――『学会』とだけ答えた。結構熱中してるんじゃないのかと思ったが、口には出さず質問を続けた。
「なんかおもしろい話でもあったか?」
「あ?なんだよ。〆切前にネタ探しかよ」
「そーいう意味で聞いたんやないけど。それに、今やってる原稿はもうすぐ書き終わるんや。ネタ探しとすれば、次の作品用やな」
火村は短くなったキャメルを灰皿に押しつけ、また箱から一本出して火を付けた。
「そうだなぁ、学会ではなかったが、この前俺が関わった事件なら話せるぜ。」
「興味あるな。聞かせてくれや」
「いいけど、〆切はいいのか?」
私は、一瞬悩んだが、昼間予定数を上回る原稿をあげたのを思い出した。
「時間にちょっと余裕あるから大丈夫や」
そう答えると、火村は事件のことを語り出した。
* * * * * *
「・・・・と言うことから、俺は工藤が怪しいという結論にたどりつき、名倉警部にもう一度工藤と被害者の関係を洗い直してもらったんだ」
「それで動機が見つかったってわけか」
私は自分のカップにコーヒーのおかわりを入れながら聞いた。
「ああ。工藤の自殺した母親ってのが、被害者の恋人だったらしい」
「自殺の原因が捨てられたからとかか?」
「そのクチだ」
火村はぬるくなったコーヒーを飲みながら 彼は猫舌なのだ 時計を見て言った。
「そろそろ帰らねぇとな」
話に集中してて時間の経過に気づかなかったが、11時をまわろうとしていた。それにしても、私としては火村が泊まっていくものとばかり思っていたのに、帰るつもりだったとは。
「泊まっていったらええやん。いつもどおりソファやけど」
「うん?ああ・・・・」
火村にしてはめずらしくはっきりしない返答だったので、不思議に思ったが問い詰めようとはせず、もう一度聞いてみることにした。
「泊まっていくやろ?それとも明日講義あって、帰らなあかんのか?」
「・・・・・・お前なぁ。明日は祝日で大学は休みだろうが、バカアリス」
う、そうだった。ここのところ〆切に追われて日にちの感覚がなかったのだ。
「そんなんわかってるわ。君がひっかかるかなと思て、言うてみたんや」
と、精一杯の強がりを言ってみたが、火村には通用しなかった。
「何がわかってるだよ。日にちの感覚がねぇんだろ?これだから作家なんていう人種は困るんだ」
別に私が作家だからといって、彼に迷惑をかけたわけでもないし、ましてや他の作家になど接することもないだろうに。作家に対する職業差別ともとれる発言をしてくれるやつだ。作家にだって、日にち感覚がある人もいるのだ――単に私にないだけのような気もするが―――そうだ、火村と漫才をしている場合ではなかった。
「で、結局泊まっていくんか?」
「ああ、そこまでアリスが俺に泊まってほしいんなら、泊まってくよ。俺に添い寝でもしてほしいのか?」
「な、そんなわけあるか。だいたいお前はソファやろ」
全く、何を言いだすんだこの男は。人が聞いたら もちろん誰もいないが 誤解されかねない科白だ。
「俺は原稿終わらしてから寝るから、お前も適当に寝ろよ。学会でお疲れやろ、助教授」
「ああ、学者ばっかり相手にして疲れたよ。おやすみ、これから仕事の有栖川先生」
自分も学者だろうが。全く最後まで口の減らないやつだ。
後から考えると、火村があれほど泊まるのをためらっていたのは、予感があったのではないか。あの夢を見る予感が・・・
* * * * * *
原稿を終えて時計を見ると、2時半をまわっていた。思いのほか早く仕上がったので、何となく火村の様子をうかがってみる。
「うーん、寝かせといて何やけど、この狭いソファでよう眠れるなぁ」
思わずそんな独り言を口にしたとき、火村が動いたので起こしてしまったかと慌てたが、そうではなかった。
「う・・うぅ・・・」
「火村・・?」
まただ、あの夢が火村を・・・。私は、旅先などで幾度となく遭遇してきた、目の前の状況を、まるで映画のワンシーンを見るようにただ眺めていた。火村を起こすこと、いや体を動かすことすらできなかった。起こさなくては、火村をあの夢から引き戻さなくては、頭ではわかっていても、体は金縛りにあったかのように動かない。
「ひむ・・」
「うわぁぁぁっ!」
私の声は、飛び起きた火村の悲鳴にかき消された。火村は恐怖で歪んだ表情で自分の両方の手のひらを食い入るように見つめていた。彼は、自分の両手についた血を――実際にはあるはずもない血を――見ているのだ。不意に火村が顔を上げ、私は彼と目が合ってしまった。
私は、電車を下りようとして目の前でドアが閉まってしまったときのような、バツの悪い思いをした。長い沈黙だった。
沈黙を破ったのは、火村の暗く沈んだ声だった。
「・・・・アリス、見てたのか?」
「・・あぁ・・・」
再び沈黙が訪れる。今度それを破ったのは私だった。ひどく寂しげな眼をしている火村が、いつもの彼に戻ってくれるようにと祈りながら・・
「手、どうかしたんか?」
火村は何も答えず、その視線は宙をさまよっている。私は、無言の彼に近づき、そっと手を握った。火村は、一瞬体を強張らせたが、手を振りほどこうとはしなかったので、とりあえず一安心した。
「何にもついてへんやろ?な、火村」
子供に対する口調になってしまったような気がするが、まぁこの際だから、この口調のまま話すことにした。
「怖い夢見たんやったら、明日動物園行って、バクを見たらええねん」
あまりにも子供扱いしすぎたかと後悔していると、暫くして、火村が口を開いた。
「ったく、アリスに子供扱いされるとは、俺の人生最大の汚点だな」
そのモノの言い方は、まぎれもなくいつもの火村だった。ほっとして、軽口で返してしまう。
「そんなことあれへん。俺のほうが火村より精神的に大人ってことがはっきりしただけや」
「精神的に大人のヤツが、『怖い夢=バク』にはならねぇよ」
「いや、それはな」
「大体アリスは発想が子供なんだよ。この前のことにしても・・」
「わかった、もう、俺のほうが子供でええから」
形勢が不利になってきたので、先手を打って白旗をあげておく。このとき、火村がいつもの彼に戻ったことが、心の底からうれしかった。なぜだか、手を握ったときに火村に拒否されなかったことも、またうれしかった。
「まだ3時前やから、もう一回寝たらどうや?」
私は、まだ手を握ったままだったのに気づき、離そうとしたが、火村により強く握られ、身動きできなくなった。
「いっしょに寝てくれ」
「はぁ?な、何言い出すねん」
慌てる必要もないのに、慌ててしまう。火村はごく自然に答えた。
「いつもは、瓜太郎か小次郎が布団にもぐりこんでくるんだよ。だから、今日はアリスにその代わりをしてもらおうと思ってな」
何をむちゃくちゃなと思ったが、さっきの火村の瞳を思い出してしまい、結局せまいシングルベッドに二人で寝るハメにおちいってしまった。
「俺は猫がわりか」
隣で静かな寝息をたてている男に文句を言ってみる。まぁ何を言っても、火村の腕の中にいるという状況がどうにかなるわけでもないが。
* * * * * *
火村が、夢のなかで誰を殺しているのかは、火村以外知らない。だが、彼が誰かを殺したいと思ったことも、誰かを夢で殺すことも事実だ。
『彼方へ飛んだ犯罪者』そして『こちらに留まった者』彼はそう言った。
彼は今こちらに留まっている。しかしこの先もしかすると――もちろんそんなことはないほうがいいが――彼方へ飛びたってしまうかもしれない。もし、万が一そうなりそうになった時は、彼の手をつかむだろう。飛びたてないように、彼を離さないだろう。そんな日が訪れないことを願うが・・
隣で幸せそうに眠る友人と、
この先もずっと共に歩いていけるように・・・・
fin
あとがき
え〜、コメントなしです。
これは、瑞樹が初めて書いたアリス小説です・・・。
何を書いてるのか判りません。
読み直す気が無かったので、書いた当時そのままです。
読み直した方が良かったかな・・・・。